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いつでもみんなの先頭切って走ってゆくキミの背中が好きだった。
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これから話すことはつまりコネって凄いねということ。
一体何の話かというと、今日ネプリーグを見ていたら何を切欠にだったか、母が突然私が通っていた幼稚園で茶道の授業があったよねということを話しだしました。それでお寺に行ったのを覚えている?と。
本当におぼろげながら、1回だけお坊様らしき人とお茶会をしたような記憶がありました。お坊様の存在は捏造かもしれませんが。とりあえずどこかへ連れて行かれ茶室でなんかやったなと。最早お茶を飲んだという記憶すらありません。
すると何とそこは当時一般公開されていなかった、現在名「英雲荘」という名の「旧三田尻御茶屋/三田尻御殿」という参勤交代の際にも使われた由緒ある休憩施設(旅館)、そして萩藩七代藩主・毛利重就の三田尻における隠居所なのだそうで。
高杉新作や七卿(1863年、8月18日の政変で萩藩史と共に京都を追いだされた公卿7人の総称)も滞在して云々…といったことをローカルニュースで見たのだと。
母の話はあまりにもナンタラという部分が多かったのでいまいち私には伝わりませんでしたが。
とりあえず何故一般人の立ち入りが禁止にされているような凄いところで小さな一幼稚園のお茶会が開けたのかというと、一重に幼稚園の同級生の父親が神社の神主をしていて、その方が頼んだそうで。折角茶道を教わるのなら、それなりの場所でお茶会をさせてあげたいという親心です。なのでどうやら、私の同級生の年の1回しかお茶会は開かれなかったそうです。上も下もない。1回きり。ということは年長組だけが茶道を習うのかな、とか今関係ないことを考えてみたり。まぁその貴重な1回に私は立ち会えたということですね。これをラッキーと取って良いのやら。
因みに1回で中止になった明確な理由はよく分かりませんが、園児が暴れたり騒いだりすることはなかったとだけ名誉のために言っておきます。ただ一通りの作法を教わったとしても所詮園児ですので、「お茶会」を開くにはあまりにもお粗末すぎて見るに耐えかねたのでしょう。
こうして成長してそのような真実を知ると何とも申し訳ないような気持ちになるものです。
しかしあのお世辞にも立派とはいえない小さな神社の神主さんにそんな力があったなんて……。神社はともかくお家は立派でしたが。
因みに現在では改修工事も終わって大人300円で入場できるそうです。わぁお手軽。
機会があれば私も一度訪れてみるのも良いかもしれませんね。ちょっと興味が湧きました。
山口県民だけれども「長州=萩だからたちは関係ない」なスタンスで生きてきました。
けれどもこうなると思い出という思い出がないのも寂しいものです。
いつか歴史好きの友人でも誘って行くことをちょっと真剣に考えてみます。
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