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いつでもみんなの先頭切って走ってゆくキミの背中が好きだった。
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2008年公開ディズニー映画『ウォーリー』観ました。ネタバレ有り。
時は29世紀、人類が住めないほどに汚染された地球。見渡す限り瓦礫の山が広がっている。
そこでは全ての人類が宇宙へと避難し、700年もの間量産型ゴミ処理ロボット「ウォーリー」たちが来る日も来る日もゴミをプレスしては積み上げるという作業を行っていた。
主人公「ウォーリー」は壊れずに稼働している最後の一台である。友達は一匹のゴキブリだけ。
そんなある日、"彼”の前に一台の植物探査ロボット「イヴ」が現れ、彼は"彼女”に恋をした。
彼は彼女を喜ばせるため瓦礫の中から持ち帰った「宝物」の一つである「植物」を渡したことにより、宇宙船で怠惰に暮らす人々は人類の故郷である地球へと戻る日がやってきたのだが――というストーリー。

私の中ではある意味最初からクライマックスといった感じでした。
まずウォーリーのビジュアルがあまりにも貧相で可哀相でそれでいて愛嬌があって。
そんな彼が壊れて瓦礫の一部と化した仲間たちの横を通り抜け、一人ぼっちでひたすらに圧縮したゴミの塔を作っているのだと思うとその時点で泣きそうでした。
話し相手もいない、誰とも言葉を交わさない世界で、黙々と定められた作業をこなす。
この話に登場するロボットたちには感情があるのです。
友達のゴキブリと2人だけの寂しく、それでも「宝物発掘」というささやかな楽しみの中で生きてきたウォーリー。
突然"空”から現れた、真っ白で丸っこいフォルムで空中を自在に飛び回りブラスター砲を撃ちまくるクールな謎のロボット、エヴァ。
破壊されかけたとしても空を飛びまわるエヴァをキャタピラでひた向きに追い続けるウォーリー。
彼の望みは誰かと手をつなぐこと。その「誰か」が「エヴァ」という特別な存在になった。
本当にささやかで純粋でどこまでも真っすぐで。なんて愛おしい存在でしょう。
ロボットである2体が徐々に心を通わせ距離が近付くその間には駆け引きも何もないのです。
だからこそ素直に胸に迫るものがあるのでしょう。

一方、宇宙船で生まれ宇宙船で育った人間。
自分の身の回りの一切の世話は全てロボットが行い、椅子に座っていれば好きなところへ自動で連れて行ってくれるという。食事も固形物ではなくドリンク状のもの。そんな生活を送っているので自力では立てないほど足腰が弱くなっているものの、それは何の弊害にもなりません。全てロボットが助けてくれるのですから。
しかしそんな「自分ひとりの閉じ切った世界」でよくもまあ700年も繁殖が続いたなと思うのも事実です。
自分の赤ちゃんの世話すらロボットに任せるという人と人との結びつきを大切に思わないような世界で、どのような経緯で他人に興味を抱き、近付いていったのだろうかと。
でもそういえばちゃんと「会話」はされていましたね。面と向かって言葉を交わすのではなくスカイプのような状態だったので忘れていました。
「愛」は人間の根底に備わっているものであり、そう簡単に失われるようなものではないということを遠まわしに示しているのだとしても寂しいものだと感じました。

宇宙船「アクシオム」の艦長は無知が故に地球に興味を持った男であり、実際に地球から持ち帰られた植物を目にしています。
地球に植物が育つ→人間も住める環境になった→人類は地球へ帰郷しよう
ということを代々伝えられてきたようで、艦長もそれに倣おうとした訳ですが。
騒動が起こり船内は混乱した状態で一体どれだけの人間が「言い伝えられたような青空など広がっていない、大地は未だに汚染されたまま」という地球の姿を知ることなく、流れや勢いだけで地球へと帰って行ったのでしょう。
人間が正確に知ることが出来た情報は「船内のロボットが反乱を起こした」ということのみ。
あまりにも急過ぎる展開であり、艦長の一存でこの怠惰な生活を捨て故郷を自分たちの手で切り拓くことを決めたのです。流石に横暴だなあとは思うものの、そこはディズニー映画なので…。
艦長の台詞でこんなものがります。「私は生き残りたいんじゃない!生きたいんだ!」
これが人間の総意であれば何の問題もありません。
不満を唱える輩が現れれば艦長が自分の得た知識を用いて演説でもしてやればいい。
「生きる」「育む」ということへの憧れ、努力、達成感。
それこそこの映画が伝えたいことなのだろうなと思いました。
エンドロールも含めて全て良かった。100分弱、飽きることなく楽しめました。
もしかしたらどこか勘違いして解釈している可能性もあるので、その内もう一度観たいと思います。
久々に直球で胸にくるような良い映画と出逢えました。ありがとう!
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『ライアーゲーム再生』観ました。
感想を一言でまとめるなら「『ライアーゲーム』だしこんなものか」といったところ。
最初から映画の制作チームに期待をしていなければ、まあ妥当なところだろうと思いますが。
とりあえずまだまだ公開中なので、出来るだけ本筋に触れるようなネタバレは控えて感想を書きたいと思います。

まず、TVで流されている予告CMでは「ピエロっぽい格好の人が芸人ワッキーの持ちネタ"オバケの救急車”チックな謎の動きをするシーンがあったと思うのですが、あれ、本編で見なかったような気がするのですが。カットになったとかそんなことあるの?私が気を抜いていてスクリーンを注視していなかっただけ?この現象は本当に謎でした。
そして映画公開前に「秋山はファインルステージを終えて直と別れた後、単身外国へ渡り放浪。2年振りに母親の墓参りに帰国したところ、ライアーゲームへの誘いが…」といった記事を見かけたのですが、秋山、普通に日本で大学の講師をしていた模様。確かに「篠宮が自分の通っていた大学の講師である秋山に助けを求めた」という情報は入ってきていたのですが、メディアで情報が食い違っていると一体何が正しいの?と一人訝しく思っていました。
また予告でも言っていたように、この「イス取りゲーム」はファイナルステージで秋山によってライアーゲームを存続不可能にさせたことを恨んだ出資者が新たな主催者となって秋山に復讐するために仕組んだゲーム、ということでしたが、何故「人質」として前回のパートナー直ではなくほぼ無関係の篠宮を用意したのでしょう。
「エデンの園ゲーム」で真実の赤林檎を揃えられたのは、直の「信じて心をひとつに」というバカ正直などこまでも一途なひた向きさがプレイヤーの心を動かしたのであって、結果としてライアーゲームに打ち勝ったのは秋山の頭脳だけでは無いと思うのです。
秋山だけを破滅させる為なら「(もしかしたら自分1人で戦えるかも知れない)という勘違いをしてくれそうなほど賢く優秀な頭脳を持ち、秋山と関係が薄く秋山を裏切ってくれそうな人間」を用意したとして不思議ではないのですが。やはり直の存在は「秋山」を動かす為だけの駒という認識なのかと思うと少し「?」という気もします。
ところで主催者Ωは前回のライアーゲームファイナルの出資者ということですが、Ωは言動からして「赤林檎は揃わない」に賭けたと思うのですが、「多くの出資者が多額の負債により破滅し、ライアーゲームは継続不可能」と言われた中で優勝賞金20億はどこで用意したのでしょう。そもそもこの優勝賞金は自腹なのか出資者から集めた金なのかも分かりません。分からないのでスルーします。

では本編のツッコミどころを。
帝都大学、元詐欺師を講師をして呼ぶなんて無理がないか。
前科のある人間に「人間の心理」を未成年含む学生に教えさせるということに危機感は無いのか。
身元が分かった上で雇っているのか、学生やその親にバレた時の反発に対する対処はどう考えているのか。
といったことをずっと考えていました。まさか大野が糸を引いていたとでも言うのか。
また何食わぬ顔でしれっと心理学の本を出版している著者・秋山。
秋山という人間は本当によく分からない人間です…。
篠宮は何故「イス取りゲーム」でイスを見付けたのに隠すだけで座らなかったのか?
秋山は「前回の優勝者」と紹介をされたのに、何故誰も手を組もうと群がらなかったのか?一人勝ちした人間による裏切りの危険性を回避した?
秋山が人間くさい言動をしたらそれはフラグでしかない。
事務局員アリスの舌足らずな喋りが雰囲気ぶち壊し。アリスは何の因果があってライアーゲームに関わっているのかも気になるところですね。当然説明されませんでしたが。
渡辺いっけいの望みは何?
ライアーゲームに福永は必要不可欠?
「みんな大好き☆人間ドラマ」がお粗末すぎて泣けてくる。
反応が良ければ次回作も作っちゃおうかな☆とも取れるΩの台詞が嫌だ。

秋山深一を演じる松田翔太は「黒」神崎直を演じる戸田恵梨香は「妖艶な赤」
この対はそれはそれは美しかったのですが、篠宮優を演じる多部未華子の「純真の白」も対比としては成り立っていたので、個人的にはヒロインに多部ちゃんが抜擢されてもあまり違和感がありませんでした。
だから、まあ、結果「こんなもんだろ」と。
単純な嘘つきゲームとしては騙し騙されが折り重なって良かったんじゃないでしょうか。
1000円くらいの価値はあったと思うので、劇場で観てみるのも悪くないのでは。
『プラチナデータ』(東野圭吾/幻冬舎)読みました。
まず本題に入る前にひとつ。
私はこの作品が映画化されるということで読むことを決めた二宮ファンだということを理解して頂ければと思います。つまり始めから神楽贔屓になるだろうことを前提で読み始めたということ。
純粋に東野圭吾の作品に興味がある人には向かないかも知れないので先にお断りを。
では、以下感想。
出来るだけ物事の進行の本質に迫る要素は排除して個人的な感想だけを語りたいと思います。
だから正直読んでも得るものは特にないと思われるのであしからず。

軽く内容紹介。
DNAの天才解析員、神楽龍平。彼はDNAの照合により犯罪のない世界を目指していた。だがある殺人現場に残された毛根のDNAの鑑定結果により身に覚えのない殺人の容疑が降りかかった彼は、事件の真相を単独で解明するべく逃亡犯として奔走する――といったもの。
まず始めに題名の『プラチナデータ』とは国が秘密裏に集めた日本国民全員分のDNAデータのことを指しているのだろうと思って読み始めたのですが、序盤の時点であっさり違うと分かりました。では一体何なのだろう、と首を傾げることが「考える」ことの第一歩だったと思います。
DNAという難解な題材であったり、常に推理しながら読んだり、冤罪の逃走犯の目線で物語を追うことで精神的に緊張した状態が続いて疲れるかと思ったのですが、(肉体的疲労は別として)そういった症状も特になくスラスラと最後まで読み進めることが出来ました。分かりやすくて読みやすかったです。
東野圭吾の凄いところは、"構成が素晴らしい!キャラクターが魅力に溢れている!伏線の張り方が絶妙だ!”…等等と安易に言わせないところにあると感じました。
それはきっとどこかだけが突出しているのではなく、全体的に技量が高いからなのかなと。
ただし登場人物は揃いも揃ってなかなか偏った思考のいけ好かない人間というか人種ばかりで、読んでいてあまり気持ちの良いものではありませんでしたが。
それは浅間警部補みたいな古臭い熱血男は勿論、神経質で根暗な天才エリート神楽主任にも当てはまることです。唯一のオアシスは富山警備員だけだったという。それも途中までは、の話ではありますが。
関わりのあった人間の殺人事件に翻弄され、それでも清々しさを感じさせるラストは、偏屈な人間設定があったからこそだと思うとやはり侮れません。

しかしアレですね。内容に触れようとするとそのどれもがネタバレになってしまって何について語れば良いのか若干途方に暮れています。ミステリーって難しい。
仕方ないので映画について話を移行させて割増することにします。

神楽龍平
・端正な顔立ちの髪の長い30歳くらいの男。警察庁特殊解析研究所 主任解析員
・下を向いてにやにや笑う。面倒臭そう。小馬鹿にされた気分になる
なるほど、ニノなら似合いそうだ、と素直に思いました。
女子高生に「クリスチャンかい」と言う姿は想像に難いですが。語尾は神楽なりに年下に接する際の気遣いなのでしょうが、あの二宮が「~かい」って。
彼が演じる「天才科学者・逃走犯・そしてもう一つの顔」には注目ですね。
ところで浅間警部補なのですが、何故豊川悦司さんだったのだろうと、読んでから思いました。
正直顔が思い出せなくて、さっき調べたら『江』の信長と『20世紀少年』のオッチョだということが判明して。その役のイメージだけだと、あまりにも浅間がイケメン過ぎてどうしよう、なんて心配してみたりして。
浅間についての外見的描写を覚えてないので何とも言えませんが。
個人的に気になるキャストといえばスズラン役が誰になるかくらいですが、現段階でどのくらい決まっているのでしょうね。
映画は観るかどうか決めてないけど、少なくとも1200円払って観る価値はありそうだなと。

まだ疑問に残る点が1、2点あるので、記憶が薄れる前に部分的にでも読み直したいと思います。
そして警察庁と警視庁の違いもちゃんと調べることにします。無知って罪だ。
『死神の精度』(伊坂幸太郎/文春文庫)読みました。
まず軽く内容紹介。
千葉という男を名乗る「調査部」の死神が、死神によって死を定められた人間に接触・観察し、7日間の調査を終え「可」か「見送り」かを報告する、といった単純で分かりやすい内容です。
この小説では千葉と6人の人間の一週間を描いており、短編としても読むことが可能なので読む側の人間としてはキリがつけやすくてその点は楽でした。

まず一言感想を言うなれば、流石伊坂作品(ワールド)といったところでしょうか。
やっぱり構成が良いね。『重力ピエロ』の時も思ったけど、伏線の回収が絶妙で……と、言いたかったのですが、この作品に関しては個人的に好きではなかったなと。
そもそも伏線と言うべきではないだろうので、どう表現したら良いか……。ぶち込んできた?
「そう来たか」とも思いましたが、私は作者の嫌らしさを勝手に感じてました。性格が悪いので。
第三章の雪山篇の必要性も「?」というか、何故あのような形式にしたのかなと疑問に思います。
ついでに第四章も「ん?」と思うところはあったのですが、そこは単に自分の理解力の問題かもしれないので多くは言いません。時間がある時この章だけちゃんと読み返してみよう。
ところで。私がこの作品で最も素晴らしいと思ったのは、「可」と「見送り」の比率です。
これは本当に素晴らしかった。そしてその順番も良い。
死神というものについて考えるのには最適だったのではないでしょうか。
小気味良い、あっけらかんとした文章もなるほど雰囲気が出ているなと。
度々音楽を「ミュージック」と表現してはイラっとするのも、この作品では一つの味です。

疑問に残る点も多くあったりします。
日本語に精通していない死神・千葉。
死神の世界でも転勤のように何年か毎に担当地域や国が変わったりするのか。
それともここで取り上げられているのが偶々全員日本人というだけで、実はその間間に外国人の調査もしているとか。
死神は随分と長生きな生き物(死神を"生き物”と表すのも妙ですが)らしいので、少なくとも日本国担当の固定化は無いのだろうなと。
死神の休日制度はどうなっているの、休日は何をしているのとか。
まあそこまで突っ込んで解説してもらっても完全に蛇足でしか無いので結構なのですが。
キレイに纏めすぎた感もあるにはあるのですが、人間こういうの好きだしね。
とりあえず私は「死神」を理解出来ないし、「死神」も人間を理解することは無いのでしょう。
そういう関係で良いのです。だからこそフラットな気持ちで物語を追えるのだと思うので。

長々と語りましたが、うん、よく出来た話だと思います。私はそれなりに好きでした。
書き手によっては中二病になり下がるテーマで臨んだその完成度は流石です。
でもやっぱり私は人間の感情の動きというものが好きなので、「死神」目線はちょっと物足りなくもありましたが、登場する「人間」は"人間人間”してて好きでした。
"人生”として評価するなら話は別ですが。そこは私としてもややこしいところなので。
とまあ、1回読んだだけで十分な作品なので、今後はおとなしく本棚に収まってもらおうかと思います。
自分で書いておいて否定的な感想が目立つ気もしますが、素直な心で読めば読後感の良い仕上がりになっているというのが私の感想なので、そこはどうぞお間違えなく。なかなかに興味深い作品です、はい。
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』観ました。
単純な感想としては、面白いという程ではないけど演出・構成は嫌いではなかったなと。
物語の主体となる部分で回想という方法を用いたのも、「逆再生の人生」なら自分でもそうするだろうなと思ったし、関わった人達の人生を疎かに扱わない点は好印象でした。
悪く言えば、意外性が無い作品。数奇な人生を描いていても奇抜性・波乱性には欠ける。「数奇」って不運とか波乱のことなんですけどね。
良く言えば、丁寧な作りになっている。奇抜性の代わりに現実味を追求している。それが本当の「リアリティ」かは何とも言えませんが。
観ていて小説的な進め方をする映画だなと感じました。
でも現在と回想とを織り交ぜることで梃入れ的な役割を担ってなっているし(実際には微々たる効果ではありますが)、小説的な雰囲気と映像作品としてのバランスがちゃんとしてるのかなぁと。
と言ってもどうにもしっくりこない感じもあるんですけどね。
どうにも妙なむず痒さが消えません。
終わり方の所為?個人的には好きな方だったりするんですけどね。それこそ小説的で。
決定的じゃないからかなぁ。
でもやっぱり、だから、小説として読んだ方が逆に繊細に色々と感じられるものがあるのかも知れません。
因みに私は感動しませんでした。物語として順調過ぎたので。
結果:設定だけなら魅力的
さて、映画『ゴールデン・スランバー』観ました。
原作を読んでないからでしょうか。一体どういうこっちゃ。いや、どういうこっちゃは違いますね。
ただトンデモ設定が過ぎて…どういうモチベーションで見るのが正しかったのか。
とりあえず内容整理。
主人公の青柳は友人の森田の呼び出され、なんだかんだで首相殺人犯に仕立て上げられる。
(森田は借金の清算を条件に以来を受けた。最終的に青柳に真相のヒントを教えた後爆死)
問答無用で銃をぶっ放す警察に犯人として追われつつ、仲間に助けられ逃げに逃げる青柳。
テレビの生放送にて真相を語ろうとするも警察の妨害により断念。
逮捕の危機に晒された青柳は地下水路を使って逃亡。
警察は数か月後に発見された水死体(替え玉)を青柳と説明。だが青柳は生きていた。
大型デパートのエレベーターにて元カノ晴子一家とばったり遭遇。(青柳は整形)
お互いの存在に気付きつつもその場では無視。エレベーターから降りて元カノの娘が青柳の手に「たいへんよくできました」のスタンプを押して(晴子の指示)、終わり。
大分端折りましたがこんな感じかと。早送りしたから見落とした点はあるかも知れません。

私は犯人に仕立てられた主人公=逃げつつも真相を探ってラストには身の潔白を証明してハッピーエンド・という古典的な考えがあったので、ちょっと拍子抜けではありました。あれ、この人逃げるだけなの?と。
でもあの主人公だとそこまでアグレッシブには見えないし、その方がリアリティはあるなと思います。ただ設定自体リアリティが乏しいのでそこだけ現実味を追及されても…という感じですが。
でもそのような設定を無視して考えたらそれなりに良い話(※良い映画とは別)だと思います。
世間から首相殺人の家族として誹謗中傷を受けるも息子の無実を確信してマスコミに応える父親の姿。まさかのシーマン登場、連続通り魔三浦という謎のキャラ(本当に謎)、北に逃亡=ロックの方程式、花火の発射スイッチを押した晴子の「行け、青柳屋」(玉屋鍵屋的な意味で)、自分の命を救ったのが亡き森田の持ち物であるiPodだったり、そのiPodには映画のタイトルにもなっているビートルズの「Golden Slumbers」が入っていたりだとか。
何よりちょいちょい挟まれる過去の回想シーンは素敵でした。
竹内結子カワイくない?本当に若く見えた。そして青春の雰囲気がよく出てました。
「Golden Slumbers」という曲をこの度初めて知りましたが、この使い方が絶妙で。
その点だけは素直に評価できると思います。あくまで私の中ではですけど。

青春時代の仲間との絆。人と人とのつながり。
それを伝えたいのだとは思いますが、如何せん押しが弱いというか。物足りないというか。
いや、そりゃあ自分が全国民から「あいつが犯人だ」と思われている中「あいつはそんな奴じゃない」と信じて国家権力すらも欺いて行動を起こしてくれる仲間の素晴らしさというのは分かりますが。
言うなればその友人たちにもっと希少価値を見出しても良かった気はします。
見事に皆助けてくれたじゃないですか。森田とカズはまぁ不可抗力として。
2年前に助けただけのアイドルですら借りを返したいと協力してくれる訳です。
因みに私は青柳と同僚の運送会社の兄ちゃんと同じタイプかと。
青柳の逃走を助けつつも、自分の保身を図るために警察にお前を売るフリをするよ、という。
後は勝手に逃げてくれ、みたいな。1番都合の良いヤツじゃないですか、こいつ。
でもこの彼が本気で青柳を売ったら面白いと思うのですが。でもそういう展開は時間的にも厳しいしコンセプトの崩壊もいいとこですよね。だから却下。
ツッコミどころを除いた感想だと、こんな感じでしょうか。
正直あまり質が良いとは思えません……。
いちいち要らないことを考えさせられる。その割に不可解な点が多すぎて、私のような人間には向かないなと。
ただキャスティングはカッチリ嵌っていたと思います。無理がなく見れました。
役者さんたちの演技も総じて文句無し。だからつまり、ストーリーですよね。
小説でどのような構成になっているのかは知りませんが、映画としては失敗じゃないかなーと。
最後に今回私が学んだこと。「「オズワルド」」ジャクリーヌと併せて覚えておきます。
以上、勝手な感想でした。
『重力ピエロ』(伊坂幸太郎/新潮文庫)読みました。
語り手である「私」こと兄「和泉」、母方しか血の繋がらない弟「春」、癌を患って入院中の父、春の調査をしていると言う謎の女性が、それぞれの方法で――結託はしているが――仙台で起こる連続放火事件の関係性を追う、といった運び。
解説の言葉を借りるなら「放火と落書きと遺伝子の物語」に尽きます。
連続放火事件の影にグラフィティアートの文字、その謎は遺伝子に繋がる、という。

まずね、最後まで読み切るのに凄く時間が掛かりました。
3年前くらいに1度60ページくらいで放置してた過去もありますし。
この度再び冒頭から読み始めて、それでも3週間くらい経った気がします。
それは私の中で、急いて先が読みたいと思わせるものではなかったから。先の展開がさほど気にならなかったのです。
かと言って内容がつまらないと言う訳ではありません。
雑学・哲学も随所に盛り込まれていて、それでいて嫌味になっていない、と私は感じましたが、この話の中に登場する人物は基本一様に博識だということを認めなければ違和感ないし不快感を感じるかもしれません。
若干くどいと思わないこともないですし。
でも何故先が知りたいと思わないかと言えば、登場人物に感情移入して何かを期待するようなものではないから。
喜怒哀楽の「怒」以外の感情の表現に波がなくて、プラスの感情が生まれないと言うか。一定のテンションを保って読めるので疲れはしませんが、楽しみも無いのですね。

さて、この話は兄弟が連続放火事件の謎を追う話ということで、読み手としても犯人を想像しながら読み進めます。きっとラストはこうなるだろう、もしかしたらこうかも知れない。でも普通に考えて読者はこう推察する筈だから、作者はきっと予想を裏切った結末を用意しているだろう、とか。
自分で何重にも「答え」を用意したら、結果裏切られたという形になってしまいました。
それこそが作者の狙いなのかも知れないと邪推して勝手に悔しがってます。
ちなみに母はこの話のラストを「なんだかねぇ」と評しましたが、私は、まあ「これは家族の物語なのであって、“この家族にとって”は1番収まりが良い結末」になっているのだろうと思います。
残念だと思う点を挙げるなら、題名を『重力ピエロ』にしたところ。
ここで説明はしませんが、テクニックとしては些か失敗だったように思います。
そして日本語に誤りを発見。「助手席の春が突然、噴き出した。心地よい爆笑だった。」
爆笑は大勢で笑うことであり、1人では爆笑と言いません。それは哄笑です。
作家と言えど日本語のスペシャリストという訳ではないので仕方ないのでしょうが……
それだけで質が低く感じられてしまうのは残念かなと。
個人のブログで(爆笑)と使ってあるくらいなら気にならないんですけどね。

結論から言うと、これは小説を読むより映画を観た方が楽しめるのではないかと思います。
私も従姉の日記で初めて映画化されていることを知ったのですが。
因みに私は映画としては観ていないので軽々しくお薦めはしないことにします。
でも映像化されるための作品といった風にも感じられました。
今回あえて登場人物には殆ど触れていませんが、異常性を隠した変わり者の集団と言っても強ち間違いではないでしょう。普通に生きて、でも「ズレ」が苛むが故の異質さ。
とりあえず文字として目で追って、ちょっと疲れました。
機会があったら映画、観てみたいと思います。



・・・とりあえず↓の“read more”って、どうやったら消せるんでしょうね。。
編集中「ページでエラーが発生しました。」ってどういうこった\(^o^)/
『三日月少年漂流記』(長野まゆみ/河出書房)読みました。
本当は『三日月少年漂流記』だけならもう大分に読み終わっていたのですが、他に『銀色と黒密糖』という短編も収録されていたのですね。そっちを読むのに手間取って。

以前にも書いたように、『三日月少年』の話は『天体議会』の前作に当たるそうで。
主要人物も少なく、主人公の銅貨と水連、そして「三日月少年」と呼ばれる自動人形(オートマータ)さえ分かれば関係性などに頭を悩ませる必要もなく、簡単に読めます。
ストーリーとしては、博物館館長の息子である水連が銅貨に教えたあるニュース。博物館に展示されていた「三日月少年」が消えた――自分の意思で動けないはずの自動人形が逃亡した――というところから、2人は三日月少年の行方を追って始発電車に乗り込み住んでいる街を飛び出す、というもの。
正直『天体議会』を先に読んでしまった身としては、些か物足りなさを感じました。
『天体議会』は謎が多くて頭を回転させながら読んでいましたから。
今回はそのようなことはあまりなく(人によっては色々と推察するのでしょうが)、水連と銅貨が動くのを目で追うだけでも物語として成立していたので、楽といえば楽なのでしょう。気になるといえば2、3点くらいですし。
“少年たちの冒険”という点では『三日月少年』の方がワクワク度は高いですね。
でも如何せん登場人物が少ないので……やっぱり読む順番の問題だろうな。
折角の冒険なのにドキドキしない。そこが悔やまれます。

そして『銀色と黒密糖』
月彦を自分たちのために「石」にすべく暗躍(奔走)する銀色と黒密糖のお話。
どこまでが夢が何が現実なのか。銀色と黒密糖とは?
考えると混乱してきてしまうので多くは語りません。とにかく不思議な話。
先の読めない展開にハラハラさせられるものの、人によっては途中で飽きるかも。
まさかそんな終わり方をするの?と拍子抜けしましたが、テーマを考えると不思議でもないのかな、と。
これぞ長野まゆみワールドなんでしょうね。
どうやら別の本にもこの3人は登場する(別設定?)ようなので、気になる方は購入前に調べてみるのも良いかもしれません。
でも私は水連や銅貨たちの方が人間味に溢れてて好きだな。
『天体議会』(長野まゆみ/河出文庫)読みました。
一言でいうと透明感溢れる綺麗な物語。どこか神秘的な雰囲気さえする。
それは星や海などの美しい情景と言葉たち――市内交通(ピユス)・・淡紫色(ヘリオトロオプ)・檸檬水(シトロンプレッセ)、など――が作り出す世界。
主人公である銅貨と親友の水連は、至ってどこにでも居そうな13歳の少年たちです。
放課後に足繁く『鉱石倶楽部』に通い、石を買い食事をして小遣いを使い果たし、夜になると展望台に昇って天体観測をする。そんな普通の少年たち。
銅貨はほんの少し物怖じする性格で、水連が慕う兄の藍生に嫉妬して拗ねてみたり。
水連は顔立ちが良く、意思がはっきりとして、狡猾な面もあるが、死んでしまった愛犬をとても愛していた。
それに加え銅貨の兄、そして自動人形(オートマータ)と噂される不思議な少年。
この4人が奇妙に織り成って、またすれ違いつつ、核心に触れることのないまま終わってしまいます。
何故不思議な少年は水連の眸から「結晶」を取り出せたのか。
何故兄は父が仕事で赴いた「南」に行ってしまったのか。少年が向かった「南」と同じ場所なのか。
兄と少年の関係は。少年は本当に自動人形だったのか。病院で亡くなった少年とは一体。

謎は多く残ります。でも、だからといって「答え」を求めては駄目なのだと思いました。
銅貨と水連の「日常」はこれからも続くのです。いつもと変わらぬ日常が。
それで良いと思いました。だからこの話は綺麗なのだと。
銅貨と水連の友情が続く限り、魅力が失われることはないのだと。
少年期だけに許される、自由で解放的なモラトリアム。それは羨望にも似た憧憬――。
(例えば美しいボーイソプラノを持った音楽部の鷹彦はそれを失った時に悩むでしょう)

私も初めて読んだ時に思ったのですが、独特な言い回しに疲れてしまうかもしれません。
でも読んで嫌な気持ちになることはまず無いでしょう。
綺麗な綺麗なお話。キラキラした気持ちに浸りたい方は是非
『GOSICK』(桜庭一樹/富士見ミステリー文庫)読みました。
友人と図書館行って、そこで桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を発見して(そういえばこの本一時き本屋の売上上位に食い込んでたなー)とか思って反応すると、「うちのこの人の本あるから貸してあげるー」と内容も分からぬまま渡され(押しつけられ)たのが『GOSICK』だったのです。
夕食後から風呂上がりで一気に読みました。
まず表紙を見て思ったのが「うわぁ……」でした。絵が……ゴスロリ……。。そういう話なの?と。
そしていざ読み始めて率直に素人っぽい書き方だと思いました。作者が何歳なのかは知りませんが。
まず『……』を多用しすぎ。何度も同じ語句を使い過ぎ。少女の口調が中2病。
登場人物の感情表現が説明的。感情移入しては読めない話です。
どうやら続編があるようなので、そちらではもっと表現豊かになってるかも知れませんが。
そしてミステリー小説に分類されるであろうのに、トリックを他の作品で見たことがありました。
1つは『きらきら迷宮』という少女漫画。もう1つが何で見たか分からなくて探したんだけど、多分『名探偵コナン』じゃないか、ということで落ち着きました。

ここまで酷評してきましたが、良いなと思ったのは10年前の事件について。
あれは読んでいてハラハラしました。現在と過去の交差というか、構成が良いなと。
現在進行形で起こっている事件はその10年前の事件の模倣なので、次はこうなるのかな?などと思いながら読んでいたのですが、良い意味でも悪い意味でも裏切られました。
残念なのは全体的に何かが足りないんだよね。惜しいの。
続きを借りるかと言われたら、結構ですと答えるでしょう。
主人公とヒロインに魅力を感じない。ヒロインの背景に謎は残ったままですが興味もない。
もっと心理学的にいろいろと考えさせられる話が好きなので、元々推理小説とは馬が合わないようです。
…………この人の他の小説で気になるのがあったんだけど、買うの迷っちゃうな。
もうちょっと評価を調べてからにしてみよう。
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